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フィリピンにおける医療支援プロジェクト

難民キャンプやスラムにて、医療支援プロジェクトを行っています。​

以下は、そのレポートになります。

また、医療支援継続への寄付金を募集しております。

よろしくお願い致します。

ご支援・ご協力のご案内

 

NGO・HOPE halohalooasis

YUMEKAKE PROJECT 

Medical Mission

at Iligan, Mindanao & Cebu

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NGOでは、フィリピン・ミンダナオ島とセブ島にて、難民キャンプやスラムにて、医療支援プロジェクト(Medical Mission Project)を行っています。

活動内容の案内として、継続的に行われているプロジェクトの中で、2019年3月に行われた活動についてのレポートを紹介します。日本の中野朋儀医師のご協力により、

Medical Mission Project (メディカルミッション)を実施した際のものです。

※※ ※※ ※※

日本、いや世界の一般では、フィリピンは、美しい海を満喫できるリゾート地です。セブ島、ボラカイ島、パラワン島など、有名なビーチがあり、都市部には昼夜楽しめる歓楽街や大きなショッピングモールもあります。

しかし、その半面、貧富の差は激しく、都市部に隣接する地域にもスラムは広がり、困難な生活を強いられている人々がたくさんいます。
そこには、環境、教育、医療、薬物、犯罪、児童労働・売春、ストリートチルドレン、人身売買、宗教、、、様々な問題が渦巻いています。

そして、そんなフィリピンの南部に位置するミンダナオ島マラウィ市で、2017年5月にイスラム過激派組織と政府軍の間で大規模な戦闘が発生し、現在もまだ戒厳令が発せられています。その内戦により、死者は1200人以上、そして、40万人以上が避難生活を余儀なくされたことは、日本ではほとんど知られていません。

ここマラウィでは、もう数十年に渡り、内戦が続いています。圧倒的なキリスト教国であるフィリピンにおいて、少数派のイスラム教徒が暮らすこの地域では、やはり様々な問題が生じました。ムスリムに対する差別や偏見(日本人の感覚ではむしろピンとくるのではないでしょうか)もありました。ただ、それでもそれぞれの慣習を守りつつ、不満もいろいろくすぶりながらも、それぞれが生活の中で融合し、多くの民衆は平穏に暮らしていました。しかし、一部の過激な不満分子が、反乱・戦闘行為や誘拐等を行い、世界的にはまったくといっていいほど話題にならないくらいの小規模な混乱は続いていました。

その流れが劇的に変化したのは、近年のIS(イスラム国)を初めとする、中東におけるイスラム過激派の台頭です。I S、マウテグループやアブサヤフといった過激派組織に忠誠を誓う組織がマラウィ市を占拠し、政府軍との大規模な戦闘へと突入したのは2017年5月23日のことです。ドゥテルテ大統領はすぐさま戒厳令を敷き、現在へと続いています。

NGOではこの内戦の勃発から準備を重ね、昨年2018年末、現地へ赴き、多くの避難民が生活している戦闘地帯近隣のイリガン市の避難所・難民キャンプにて、食料配給等の、支援活動を行いました。

通りでは当たり前のようにヒジャブの被ったムスリムの女性たちをたくさん見かけます。市街地は活気があり、一見平穏に思われます。しかし、幹線道路には軍の検問があり、街には外国人の姿をまったくといっていいほど見かけません。そう、ここはもう外務省指定、危険度3・渡航中止勧告地域です。

ここイリガンにいくつかある避難所、しかし、政府からの支援は充分ではありません。家も仕事も失った避難民にとって、家族がまともに食べていくことなんて到底できないくらいです。そして、昨年より我々のNGOが支援している避難所は、政府公認のものではないため、一切の支援が入らず、また、現地NGOよりの支援も長い間止まったままです。

前回の赴任の際、現地入り前に連絡をとろうとしていた現地NGOとは結局音信不通となってしまい、そのままほとんど何のツテも得られず我々は現地に入りました。現地入りに際し、もちろん多大な危険が伴うことはわかていましたので、できる限りの準備はしていきましたが、なかなか現地との連絡がとれない状態に、現地に行ってしまえばなんとかなるだろう、と、自らの判断と行動力と勇気に、道を委ねたことも確かです。そんな今思えばだいぶ無謀なその準備の途中で、日本であらかじめ連絡をとっていたフォトジャーナリストの森裕一氏に、現地のいくつかの避難所の情報(おおよその場所等も)を伺っており、その情報を頼りに、現地の人たちに聞きながら、ジプニーを乗り継ぎ、村を歩き、この避難所にたどり着きました。

内戦の激化から2年が経とうとしており、避難してきた人々のほとんどは、仮設住宅に住み、それが村となり、100世帯程の人々がずっとここで暮らしています。また、当初よりの仮設テントやブルーシートの仮設の家で暮らしている家族もまだいます。

そんな避難所の村を歩きながら視察をし、交流や話し合いをして、村長(バランガイキャプテン)とのミーティング等を経て、前回、そのすべての世帯に行き渡るように、お米や缶詰等の支援物資を配給し、また、子どもたちとイベントをしてお菓子を配ったり、持っていったギターで、皆で歌を歌ったりしました。

そして今回は、その際の活動紹介の記事を見て連絡して頂いた、中野医師の協力のもと、避難所の人々への医療支援活動を実施しました。

宗教(イスラム教)的なことから、男女の区別が厳格な風習のため、その点も考慮しながら、避難所の人々に無料で、中野医師の専門の、鍼灸医療を施術しました。

初日は、NGOの事務所のあるセブ島から飛行機でミンダナオ島へ行き、空港からバスやジプニー(ローカル乗り合いバス・軽トラの荷台を改造したようなもの)を乗り継ぎ、現地へ到着します。結局今回もまたうまくアポがとれないでいたので、まずは、直接避難所に行って、ミーティングです。


バランガイホール(村のコミュニティセンター)を借りれることになり、時間や告知の打ち合わせもしました。

が、実は、ほとんどゼロからのプロジェクト開始になってしまい、翌日からの施術のため、ミーティングをしたその足で、避難所の人々への告知のために、村を歩き、道すがらに出会った人や、各家に、パンフレットを配り、説明をして周りました。

そう、ここから、です。

いつもそうなのですが、後ろ盾も資金もない自分らのNGOは、自らの足で、現地の人々へ直接アプローチしなければなりません。でも、それが、人々とのふれあいに繋がり、信頼関係を生み、草の根の活動を広げていくのです。

そして、こうやって家々を周っている最中にも、様々なニーズを拾い、ドクターの判断で、そのままその場で治療をしたりもしました。左半身の麻痺、足が不自由で出掛けることの出来ないおばあさんに出逢いました。自ら動かず、会場で待っているだけでは、治療できない方でした。本当に必要なサポートはこうやって見つけていくのかもしれません。

明けて翌日の午前中も、村を周り、告知をしつつ、家の軒先で、時に野外で、仮設住宅への訪問治療を行いました。午後からは治療会場のバランガイホールにて施術を行いました。椅子を並べて、そこにすぐ近くにある避難所のテントで暮らすおばあさんからタオルを借りて敷いてベッドにしました。

二日目、三日目と、前日に告知したばかりだというのに、いつのまにかさばききれないくらいの人が治療に訪れました。治療を受けている人も待ってる人も同じ部屋にいるので、わきあいあいと、、、そして初めて経験する鍼灸治療に興味津々で、診療所となっているのに、どこかやわらかであたたかい雰囲気のなか、医療支援活動をしました。

治療に訪れた人たちの主な症状として、不眠(内戦、そして続く避難所生活のPTSDによるものでしょうか)、発熱、頭痛、食欲不振、麻痺、鼻炎、消化不良、小児喘息、高血圧、高血糖、しびれ、関節・からだの痛み等を訴えていました。

治療が終わると、皆、口々に、患部を動かしたり回したりしながら、軽くなった、痛みがひいた、と笑顔で、「ありがとう」と言ってくれました。

この一度の施術で、病気が完全に治るとはやはり言えないと思います。でも、少しでも症状が改善することによって、痛みがやわらいだり、今までできなかったことができるようになったりして、その生活に張りができ、長い避難所生活で失いかけていた活力をまた取り戻すきっかけになればいいな、と思います。

そして、もちろん、できればこの活動を、続けていければ、と思っています。

政府や現地組織からも忘れられた、また、こんな危険な地域へ、何のツテもなく、どこからか外国人がやってきて、一緒に汗だくになって、笑顔で支援をしてる、、
それはきっと、不自由が続く不安な避難所生活で疲弊した人々の心を癒やし、その繋がりはきっと人々に夢と希望を与えるものだと思います。

内戦で壊滅状態の故郷の復興には、おそらくまだ長い年月が必要でしょう。でも、少しでも早く内戦地域の状況が落ち着き、戒厳令が解除され、平和が訪れ、人々が町に帰り、家族で安心して暮らせる日がやってくるよう、心から祈ります。

そして、少しでもその手助けができるよう、今できる限りの支援を続けていこうと思います。

たとえ今はほんの小さな力でも、現地の人々と協力しながら、また安心して夜が迎えられる日まで、ずっと、笑顔を届けようと思っています。

避難所での活動は今回が二度目です。

前回は、いきなり訪ねてきた外国人に、どこか警戒しているというか、値踏みしているような雰囲気もありました。
子どもたちも初めは寄り付いてきませんでした。
また、内戦地域に視察に行きたいと訪ねたら、本人たちでさえ難しいのに、ましてや「外国人は無理」とあっさり言われました。

しかし今回は、皆が笑顔であたたかく迎えてくれました。

わけもわからずやってきたきまぐれな外国人ではなく、また戻ってきてくれた遠い海の向こうの仲間として、初めから笑顔で接してくれました。
人々の態度や口調に、自分たちを信頼してくれてるのが伝わってきて、とても嬉しかったです。

子どもたちも、「待ってた!」という感じで歓迎してくれました。

ホールでの医療活動をしているので、ほとんどかまってあげられなかったのですが、ずっとホールのすぐ前で、時々、表へ顔を出すのを待っていてくれました。

自分は直接医療行為に携わっていなかったので、訪れた人の案内や会場整備、自力で階段を登れない人等の介助をしていたのですが、そのついでにふと表へ出ると、すぐに玄関に子どもたちが集まってきて、

そして歌をうたってくれました。

One Call Away...

前回、みんなで歌った歌です。

恋愛ソングですが、有名だったので選んで、みんなで歌いました。

「呼んでくれたらすぐにかけつけるよ」

甘いラブソングがまるで違う意味で、自分の気持を歌っているようでした。

今回は医療支援活動がメインだったので、そういう用意をしてこなかったのですが、前回、ギターを持ってきて、最後にみんなで歌いました。


それを覚えていて、子どもたちが、アカペラでプレゼントしてくれました。

なんか、、、本当に心がしんみりとして、この地に愛着が生まれて、心から思いました。

 

また帰ってくるよ

って、、、

避難所のテントで暮らすおばあちゃんが豪快に笑顔で言いました。

「今度私の故郷に連れてってあげる。バンバンやってたとこだよ!」

前回のことがあったので、とりあえず今の状況ではまだこちらから言い出すこともしなかったのに、自分たちを誘ってくれました。

外国人のお客様ではなく、きっと、心の通じ合った仲間として。

「信頼関係」の構築。今回の活動のひとつの大きな収穫でした。

そしてそれは確実に次へのステップへと繋がります。

うん、、、ほんとに、

またここに帰ってきます。

そして次回はきっと、内戦の戦闘地帯へ足を踏み入れるでしょう。

ミンダナオでの活動を終え、その後は、またセブに戻り、

今度は、いつも活動しているスラムでの医療支援プロジェクトです。

まずは町から例のバイク3人乗りで峠を行けるとこまで行き、降りたら、山道に入り、山岳スラムへ向かいます。


集落が近づいてくると、待ちわびたように、あちこちから自然と子どもたちが集まってきます。

小さな広場の小さな小さな教会で施術を行いました。

たくさんの人が集まり、暗くなるまで治療を続けました。

半屋外のような場所なので、ドクターも汗だくになって、また蚊に刺されながらの大変な条件下での施術です。

そして翌日は、NGOの事務所があるデイケアセンターを会場にしての、付近のスラムの人たちへの、同様の医療支援活動です。

未就学児対象のクラスルームを治療場所にしたのですが、机をベッド代わりにして施術をし、集まった人たちは、当たり前のように、小さな椅子にちょこんと座りながら待っています。

治療にやってくる人はスラムに暮らす顔見知りの人たちばかりなので、いつものように明るくあたたかい雰囲気のなか、活動を行いました。

少し話は代わりますが、自分たちと一緒に、現地の人と同じ食事をし、セブではホームステイをして生活し、そのなかでドクターが言いました。

病気の原因のひとつとして、やっぱり食生活の影響が大きい、と。

何もかも甘く、濃い味付け、肉と米ばかりの食生活、飲み物も甘い清涼飲料水ばかり、、、暑さ故にそういうものが食べたり飲んだりしたくなるもの仕方ないとも思いますが、やはりどう考えても不健康です。

基本的なことから変えていかないといけない。

それは、医療や健康だけでなく、この国のすべてのネガティブな問題の原因に繋がります。

貧困、環境汚染、宗教対立、内戦、、、すべてが根本的な原因がその根底にあります。

 

だから、

より難しいのです。

でも、変わらなきゃ。

守るべきものは守っていかなきゃだけど、変わらなきゃいけないものは、変えていかなきゃ、、、

あらためてそう思いました。

今は乾季で雨が降りません。

蛇口からは夜しか水が出ません。

いつものようにバケツで水を、NGOのゲストルームのある2階まで運びます。

 

とはいえ、スラムの人々は、もともとが井戸水での生活なので、あまり関係はなかったりもしますが。

ドクターを支援地域のスラムに案内しました。

いろんなことを感じ、話してくれました。

自分にとってはもう慣れてしまって、どこか当たり前のようになってしまっている環境だったりもしますが、

やっぱりここでの生活はとても過酷です。

干上がった沼は、ゴミで埋もれています。

雨季になれは今度はここが溢れ出し、ゴミを一緒に汚れた水がスラムに浸水します。

なので多くの家は高床式になっているか、そうでなければ1階の浸水は想定内です。

もちろん衛生状態は酷く、環境にも健康にも被害を及ぼし、感染症が蔓延します。

大量に発生する蚊はマラリアやデング熱をふつうに運んできます。

そんな中でも、人々は明るくエネルギッシュにたくましく生きています。

子どもたちはめいっぱいの笑顔で走り回っています。

「本当の幸せとは何だろう」

「生きるとは何だろう」

いつものようにまた考えさせられます。

答えはでないことはもうわかっているけど、

でも、いつも、ずっと、試行錯誤しています。

今、日本に帰り、この原稿を書いているあいだも、あの日々を思い出し、人々の優しさが、子どもたちの笑顔が、頭に浮かび、切なさで心がいっぱいになります。

貧困に苦しむスラムの人々がその困難な生活から抜け出せる日が、
内戦によりすべてを失い避難所で暮らす人々のもとに、もとの生活が取り戻せる日が、
そんな日がやってくるのは、笑顔で安心して暮らせるように、心から明日を信じて生きていけるようなるのは、いったいいつになるだろう。

 

とても長い道のりです。

でも、

祈り、そして、歩き続けます。

おたがいに手をたずさえながら、支え合いながら、

一歩一歩、

これからも、すっと、、、

フィリピン・ミンダナオ島・マラウィにおける

​内戦の被災者の難民キャンプ救済のための

ご支援・ご協力のお願い

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故郷を戦争で失い、避難所で困難な生活を強いられている人々への、継続的な支援のため、ぜひ、ご支援・ご協力よろしくお願い致します。

2019・3・15-3・20
フィリピンにおける医療支援プロジェクト

​同行の中野医師によるレポート

FREE ACUPUNCTURE AND MOXIBUSTION TREATMENT !!!
・March 16・17, 2019 in Iligan, Mindanao Philippines・
・March 18 - 20, 2019 in Cebu Island Philippines ・
Acupuncture and moxibustion treatment uses needle and heat to enhance natural healing power.This treatment is natural, very safe and not painful.
フィリピン鍼灸治療ボランティア・2019.3.14-21・
●ミンダナオ島:3/16;9:00-17:00(治療者数11人)3/17;9:00-14:00(治療者数22人)
●セブ島:3/18;15:00-19:00(治療者数23人)3/19;9:00-16:00(治療者数25人)3/21;9:00-17:00(治療者数35人)
活動報告

http://hidamari-labo.jp/…/9c5c4b78ca0626aa44e013c4ff764185.…
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